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WAR対新日本対抗戦1992.10.23 天龍源一郎・北原光騎対木村健悟・越中詩郎③

崖っぷち?そりゃ未練がある奴の言うことだよ
 

LEGEND OF MAD DOGS

GREATEST IWGP TAG CHAMPION TEAM "MAD DOGS"
 

 

WAR対新日本対抗戦1992.10.23 天龍源一郎・北原光騎対木村健悟・越中詩郎②

リング上に物が飛び交う異様な雰囲気の中、試合は行われた
 

WAR対新日本対抗戦1992.10.23 天龍源一郎・北原光騎対木村健悟・越中詩郎① 

天龍ファンが燃えた!!伝説のWAR対新日本、後楽園決戦!!
 

 

LEGEND BOUT OF MAD DOGS 1/3

1999/6/27/グランシップ静岡
健介・越中組 vs 後藤・小原組
 

LEGEND BOUT OF MAD DOGS 2/3

1999/6/27/グランシップ静岡
 

LEGEND BOUT OF MAD DOGS 3/3

1999/6/27/グランシップ静岡
 

フリフリゲームソシキ#1 さらツヤ髪カタログ!

ゲームが好きな人もそうでもない人も、もっとゲームが好きになる!
秋はさら&ツヤ感でキマリ!ゲームがヘアカタログになっちゃった!
 

越中、新日本に移籍する(1985)

全日本から新日本に移籍

越中 詩郎(こしなか しろう、1958年9月4日 - )は、日本のプロレスラーである。東京都江東区出身。血液型はB型。ファンからは苗字を音読みした「エッチュー」とも呼ばれている。

1978年に全日本プロレス入門。1979年に園田一治(後のハル薗田。故人)戦でデビュー。若手のころはジャイアント馬場の付き人を務めていた。

1983年にルー・テーズ杯争奪リーグ戦で三沢光晴を破り優勝し、翌年ともにメキシコに遠征。サムライ・シローの名で活躍した。なお、この頃怪獣の着ぐるみを着て西武百貨店のCMに出演したことがある。(また、同時期にメキシコに来ていたジャガー横田と親交が出来、後に足首骨折で入院した際に横田が見舞いに来て、「アタシを(嫁に)貰ってよ!」「やだよ!」という会話が雑誌を飾った事がある)

三沢光晴がタイガーマスクとして先に凱旋帰国したことに危機感を抱き、 1985年全日本プロレスを離脱、新日本プロレスに押し掛け同然で移籍して帰国(異説については後述)。但し、すぐに新日本プロレスに移籍せず、まず当時設立したばかりのプロモーションだったアジア・プロレスに移籍し、そこから新日に上がるという形を取っていた。

1986年、IWGPジュニア王座決定リーグ戦に出場し、初代IWGPジュニア・ヘビー級王座を獲得。その後、旧UWFから戻ってきた高田伸彦とジュニアベルトを争う。高田のキックを愚直にも正面から受けるファイトスタイルでブレイクする。その後IWGPタッグ王座にも君臨。ライガーらの台頭や自身のウェイトアップによりヘビー級に戦いの場を移す。ドラゴンボンバーズへ入るも誠心会館との抗争に関して新日本プロレス選手会と対立しヒールに転向。頭を剃り上げて反選手会同盟(のちの平成維震軍)を結成し、一躍中堅からトップ戦線へ踊り出る。

常にコンディションが良いことで知られ、強靭な受けの技術と切れの良いスープレックス、高角度のパワーボムを持つ。また、近年はヒップアタック等の尻(ケツ)を利用した攻撃が高い会場人気を集めており、「ケツだけで試合を組み立てられる」職人レスラーの才能も持ち合わせている。

蝶野正洋とは犬猿の仲。これは反選手会同盟を結成した時の選手会長が蝶野であった事に起因する。蝶野とのシングル戦は勝率が高い。

全日離脱・新日移籍の経緯には、いくつか説が流れた。

三沢光晴がタイガーマスクとして先に凱旋帰国したことに危機感を抱いたため、自ら新日本と接触したとする説。この行動にジャイアント馬場が激怒したが、越中は最終的に会場まで出向き、馬場に詫びを入れたと伝えられる。
複数のプロレスラーや当時のプロレスマスコミが話すこととして、「馬場が越中と三沢に2代目タイガーマスクになることをすすめると、越中は海外修業継続を望んで拒否、三沢は受け入れた。その後、馬場に無断で、影のプロモーターだった馬場元子が越中との契約を解除してしまった。」という説。行き場のなくなった越中は困惑し、新日本プロレスに移籍を考えた。馬場はその後、この事実を知り、プロレスマスコミを通じて越中に謝意を示し、越中はその御礼として馬場と会った、とされる。
越中自身の口から長らく真相が語られなかったため、このような説が飛び交ったが、2007年に出版された越中の著書『やってやるって!!』において、初めて自身の口からこの経緯について発言があった。それによると、大体においては前者の経緯に近い話となっている。馬場に詫びを入れに行ったのは帰国してすぐのことだった、とのこと(結果的に、それが馬場との最後の接触となった)。また、あくまで移籍を認めない馬場と引き下がらない越中の間で切迫する場をとりなしてくれたのは、偶然居合わせていた天龍源一郎だった、ということも語られている。
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